1945年8月8日は福山大空襲があった日。
昨年101歳で他界した弊社創業者の祖母からも福山大空襲について生前よく話を聞きました。
当時、祖母は道三町に住んでいました。
家の離れには陸軍大佐が住んでいて、
毎日、迎えがやってきてそこから馬で第41連隊の司令部(今のばら公園)へ行っていたそうです。8月6日に原爆が落とされてからは、家の地下を掘り米や味噌などを地下に埋め、大きな荷物は馬車で岡山まで運んだそうです。
福山大空襲の日は、私の祖父が町内会長をしていた為 道三町を離れることができず、町内の人を沖野上町の家へ避難させ自分たちは道三町へ残ったそうです。道三町は火の海になり、道三川へは何体もの死体が浮かんでいたそうで、今もその様子ははっきりと覚えているそうです。
それから、黒い爆弾の雨のなか布団をかぶって沖野上まで逃げたそうです。
死者354人 重傷者122人、軽傷者742人、焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人(当時の福山市の人口58,745人の約81%)、市街地の約80%にあたる314ヘクタールが焼失。
二度とこんなことが起きないように、子供たちにも実際起きたことを語り継いでいきたいと思います。犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
世の中が平和に包まれますように。